ガブリエル・ココ・シャネル~
『第一次世界大戦中のココ』と『その後のココ』
恋人カペルは戦争に動員されます。
その間も、ココは男性の肌着に使われていた素材(メリヤス)で、女性の動きやすい服を作っていきます。
【このタイミングのよさ!】
そうです、戦争中は、敵が来たときにすぐ逃げられて、軽くてじょうぶで、汚れもよく落ちる服を求められていたのです。
メリヤスがぴたりと、はまったのです。
そのメリヤスの糸がなくなって困っていたところへ、今度はジャージの生地が手に入ります。
そこで、ジャージを使った服も作り、大ブレイクがおきます。
その後も、仕事にとってラッキーなことが続きます。
1918年に戦争が終わり、
シャネル帝国の基礎が出来上がった1919年・・・
突然の不幸がココを襲います。
カペルが自動車事故で亡くなってしまうのです。
・・・最愛のカペルを失ったココ・・・
そのココを支えたのは、芸術サロンの女王的存在だったミシアという女性でした。
ミシアは、ココの人生において唯一の女友達。
ミシアは、すごい時代のパリの芸術家たちをココに次々と紹介していきました。
ディアキレフ、ポール・モラン、コクトー、ピカソ...ここでは紹介しきれないくらいです。
(この時代のことは、またのブログに書きます。)
これらの人々は、ココにインスピレーションを与え続けたのです。
付き合い始めたウェストミンスター公爵も彼女に多大なインスピレーションを与えた一人です。
マリンルック、ベレー帽、ツイードのジャケット、などメンズのものからヒントを得て女性に新風を吹き込んだ服がなんと多い事でしょうか。
ウェストミンスター公爵の縁で知り合ったと言われている、チャーチルの親子と狩りに出かけている写真も残っています。
そのときの格好は、スーツ姿にボーラー帽!!!!
さすがにオシャレに決まっています!
後にシャネルは自分の成功を振り返ってこう言っています。
『ひとつの世界がおわり、別な世界が生まれようとしていた。
わたしはその二つの境に居合わせたのだ。チャンスをあたえられて、それをつかんだ。
...シンプルであること、着心地のよさ、清潔などが求められていた。
わたしは知らぬ間にそのすべてを提供していた。真の成功は運命的なものね。』
第二次世界大戦中 ドイツの将校と知り合います。
しかしそのことが、スパイ行為なのでは...と疑いをかけられ、ココはスイスに亡命します。
8年間のスイス生活の後、再びココはパリに帰ってきます。70歳の時でした。
(実際には14年間沈黙のなかにいたココでした。)
『70歳での再出発』
復帰への闘志に燃えている70歳~そしてパリへの帰還でした。
その頃、パリは戦争が終わり、華やかなものへの憧れで溢れていました。
女性の服も、花柄や、フェミニンなものが好まれました。
しかし、ココは自分のかつてデザインしたものを変えずに、発表。
当然、時代遅れなどと揶揄されました。
スラックス〔今のパンツルック〕、黒を使うこと、機能的な服であること、動きやすい事、過度に女を意識させない事、どれもが、新鮮だった時代は過ぎていたのです。
(セーラー服の高校生の『セーラー』もココが女性に使い始めたものらしいですよ。)
しかし、アメリカは違いました。
『シャネル』と聞いただけで、誰もが購入したがったのです。
シャネルの服・香水・生き方のスタイルが、大々的に受け入れられたのです。
その様子を見ていたパリのモード界は、またココを受け入れ始めます。
そして、カムバックしてから17年もの間
ふたたび『働く女性』となって最後の日まで現場の指揮をとっていたココでした。
1月 まもなく始まる夏のコレクションを気にしながら...亡くなりました。
~『人生最後の日まで働くわ。そして燃え尽きるの。完全燃焼よ。』
ココ・シャネル~
:『シャネル』最強のブランドの秘密 山田登世子 朝日新書