どら猫日記

ヴィクトル・スタルヒン その2

【中学時代】

 

今の『高校』ということになりますね。

 

いちどは西宮の中学校に入ったスタルヒンでしたが、事情があり旭川に戻ってきます。旭川で『夏の甲子園』を目指して大奮闘しますが、全道の3回戦で負けてしまいます。

 

しかし、その豪腕の噂は全国に渡り、1934年中学2年のときに、『全米オールスター』の日本チームに入る事になります。

無国籍のために、あちらこちらでいろいろと嫌な思いをしたり、詰問されたりします。

 

時代も戦争へと向かっているさなか、無国籍のために名前までも変えさせられることになります。戦争中は軽井沢に行かされて労働を強いられていたそうです。

 

さて、戦後は何度もチームを変えながら(パシフィック・太陽・近世・大映・高橋・トンボ)、1955年9月4日に日本プロ野球史上初の300勝を挙げました。

(このあたりのことは、

      小説『枯葉のなかの青い炎』 辻原登 著 にもなっています。)

 

最終成績は303勝 球速160km/h は出ていたのではないかといわれています。

 

プロ入りした当時の写真を見ると、中折れ帽を粋に前ブリムを少し下げてかぶっていて、帽子のとても似合っているスタルヒン。

 

【ボルサリーノ】ソフト帽(兎毛... 【ボルサリーノ】ソフト帽(兎毛... 【ボルサリーノ】マニッシュ(兎...

 

 

ロシア革命・そして第二次世界大戦とあり、苦難の生涯でしたが、旭川で小・中学校と野球チームでわいわい活躍していた時代が一番幸せではなかっただろうか・・・と思うこの頃です。

 

こちらにも載っていますので、ご興味のある方はどうぞ!

 

http://www.htb.co.jp/vision/kokoro/story.html

 

参考文献:スタルヒン球場25周年記念 ヴィクトル・スタルヒン より(非売品)

コメントを投稿する

(入力しても公開されません)